昨日に引き続き、忘れない内に「涼宮ハルヒの消失」というか、その種の青春物とか、学園物の話を書いておきます。
というか書いている内に一昨日になってしまいました。
1日は、73.8kg、22.0%でした。もう体重よりも、この体のだるさや倦怠感の方をどうにかして欲しい。もちろん暑さのせいではあるのですが。瞬間冷凍されて20年後ぐらいに解凍復活したい。長門さんに頼んでみようか。
昨日のなぜ映画なのかという疑問。それは、「涼宮ハルヒの憂鬱」のキーは、「違和感」を感じることではないかということ。というか、それは多くの青春物とか学園物とか共通するテーマの気が。ネタばれではないのですが、細かい内容に触れていきます。
このシリーズの原作や原作に忠実なテレビアニメの方では、乙女心には鈍い割には変なところに鋭いキョンの感覚が要所要所で物語の流れを大きく変えていく部分があります。
例えば、ハルヒと親しく話をするきっかけになった「毎日髪型を変えるのは宇宙人対策か」のせりふ。
これが、女性という面に関心があるのであれば、髪型変える→おしゃれとはなっても→宇宙人対策にはならない。
これは、彼女の最初の自己紹介の「宇宙人、未来人・・・私のところに来なさい」にもちろん結びついているわけですが、キョンにとってはおしゃれではなく非日常の違和感を感じとったわけで、それが逆に彼女の共感を得ているのではないかと。今まで彼女に近づいてきた男性は、美少女としての面の彼女しか見てなかったのではないでしょうか。
その上、映画でも出てきますが、ポニーテール萌えが重要なキーになってますが、彼は髪型発言後ばっさり髪を切ってしまった彼女に違和感を感じているのではないか、それが長い髪でないとできないポニーテールが好きだの発言になっているのではないでしょうか。逆に、長門には「メガネ属性はない」と過去を切り捨てます。このあたり、キョンは女性に対して無神経であると感じますね。
また、映画の最初に友人の谷口にクリスマスに一緒に過ごす相手ができたというエピソードが出てきますが、今までの谷口のことを知っていれば、ものすごく不自然に感じます。キョンももちろんそうでしょう。どうでもいい話ですが、こういうどうでもいいことが丁寧に描かれているから話にリアリティが出ておもしろいんだと思います。
朝倉も映画だけで見ると突然殺人を起こしているように見えますが、二度目であること、長門のバックアップであることを知っているのと知らないのでは全然印象が違うのではないでしょうか。また、長門におでんを持ってくるシーンも違う印象を持つのではないでしょうか。テレビでは学級委員で世話好きの描写があるので逆に違和感がないかもしれません。
映画だけ見るとそれらのシーンの意味がほとんどない。違和感の積み重ねがその後のシーンの重みにつながっていくことを考えると残念です。鶴屋さんなんか、ほとんどどういう人なのかわかりませんね、実は重要人物なのに。
その点では、評価はしてませんが、テレビアニメのエンドレスエイトは違和感の積み重ねだった気がします。積み重ね過ぎでしたが。
原作に忠実というのはテレビアニメとしては成功したと思いますが、映画では失敗だったのでないかと思います。テレビの続編としてみれば悪い評価ではありませんが、映画としては違和感が残ります。
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